米寿・喜寿のお祝い

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一旦、実家に戻ったもののまだまだ宴席までには時間があるので
日高川をしばし散策。
以前に比べると水量が減っているようにも思えるけど…





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日本人に比べるとヨーロッパ諸国の人々は自然環境に対する意識は高いと言われている。
(フォルクスワーゲンの事件はあったけれども)
その大きな理由は山岳地帯はともかく、長い距離を緩やかに流れる川が多いからという話を聞いたことがある。
上流の国で川を汚すと下流域の国に影響が出るからなんだとか。
それに比べると日本の川は流域距離も短く急流であるため環境意識が芽生えにくいということが言われてきた。
実際、川原でキャンプした人がゴミを放置して帰ったり
捨てられた釣り糸に絡まった野鳥が命を落としたりということが、この辺りでも以前は見受けられたが
ここ最近は日本人の環境意識も高くなってきたのか、あまりそういう光景は目にしなくなった。
といっても無くなったわけではなく、少なくなったというだけの話ではあるけれど。

「宴会場まで半時間もかからないだろうから、五時半頃に出発しよか」
「よっしゃ、わかった。」
そんな会話があって5時8分、ヨメさんの携帯が鳴った。
どうやら義妹からのようだが、様子が変だ。
「もう皆集まってるで。後は今日の主賓とお姉ちゃん一家だけやで。」
というような内容らしい。
どうも、朝からヨメさんのスマホの調子が悪いとか言ってたが
その時に開宴は5時とのメールが送られてきていたらしい。
いずれにしても遅刻なので、慌てて宴会場へと向かったのでした。

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両親と4人の子供(末妹は独身)とその旦那3人
それに孫が7人で総勢16名になるのだが
2名欠席で14名での祝宴。
欠席の2名は私の長男と次女。
まあ勤務の都合もあるし、職場が東京と三重なので仕方あるまい。

少し時間が遅れての宴席ではあったけど
最初に開宴の挨拶を頼まれたので、手短に済ませた後
義父の話が始まった。
88年間の歩み、生い立ちの話だったが
初めて聞く話ばかりで、実の娘たちも初めて聞く話だった。
16歳で通信兵として徴兵され、18歳で終戦を迎えたときはハルビンにいたこと。
寒い中で食うや食わずの毎日を送る中、拘留されることもなく
料理店を営む中国人夫婦に店を手伝う条件で住み込みさせてもらったこと。
毎日、餃子を作ってたこと(その割に餃子を作ってるのは未だ見たことがないと娘からの野次が飛ぶ)
ハルビンの町は洋風の建物が多かったこと(ロシアの影響らしい)
自分たちは戦争の被害者であると同時に加害者であること。
やられたらやりかえすということをしていては、いつまでたっても争いは収まらないということ。
一年半後、ハルビンから佐世保に復員したこと。
ハルビンを出るとき、世話になった店主からなにがしかのお金を持たせてもらったこと。
復員してみてお金はあまり役に立たなかったこと。
現地で食料品や嗜好品を買っておけばよかったと思ったこと。
佐世保から和歌山の実家に帰ってきたとき義母はまだ9歳の子供であったこと。
終戦後ハルビンでともに暮らしていた戦友から今年突然電話があったこと。
その戦友は現在、大阪市に住んでいること…云々。

初めて聞く話ばかりであったが、あまり熱が入りすぎて
義母の話は割愛された。
まあ、話すといっても「ありがとう」しか言うことはないと本人は言ってたが…

宴席の費用や記念の品は4人の娘たちで出し合ったようで
まあ、それではちょっと自分も気が引けるので
明日の夕食はワシの驕りと、ついヨメさんと娘に約束してしまう。

実家で一泊させてもらって、翌日はのんびりと過ごし夕方帰路についた。
「夕食、何が食べたい?」と聞くと
「久しぶりに肉が食べたい。」とのこと。
ちょっと贅沢して宮崎牛を食べに行った。

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非常に美味しかったが、出費額はちょっと痛い。
メチャクチャ痛いってほどではないけど、ちょっと痛い出費というのが良い。
「そういや、米寿・喜寿のお祝いの帰り、宮崎牛食べに行ったなあ。」と
事ある毎に言うことが出来るしね。
これも自分は小市民である証しでしょうかねえ?




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by echoes06 | 2015-10-15 16:59 | 和歌山県

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by おすぎ
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