この塔は少し傾いているのです。
という言い訳は通用しないでしょうな。
神社・仏閣というとたいていその庭には四季折々の花が咲き、彫刻や絵画などの美術品を所有している。
だからカメラを持ったひとも持たない人も、どこそこのお寺の桜がきれいだからとか、もうそろそろ紅葉の時期だからといっては寺社を訪れる。
神社仏閣は本来は宗教としての施設・道場であって信仰の場なんだけれども、堂々と「私は無宗教です。(ホントは無宗教というよりは不信心というべきかも)」と言ってる人たちでさえ、寺社に出向く。
寺社が庭園や建築や美術品を見せるためだけのものなら、信仰の場である必要性はなく、それこそ美術館や博物館として公開すればいいだけのこと。
見事な庭園や彫刻・美術品があるのはひとつの方便で寺社に人を来させるためのものだから寺院を訪れる人の目的が何であれ、仏教の一端にでも触れてもらわなければと寺院の側ではそう考えるのが普通だと思うのだけれど、そういう寺院はあまり多くない。
新車を買って神社でご祈祷をしてもらった帰りに交通事故に遭う人があれば、母親が子供の受験合格を祈願してお百度参りをしている時、当の子供は爆音を響かせ町をバイクで暴走している。
「あそこの神社は効かん。」とか「神様はいない。だって祈ったもん。」などという人もいるけれど、神様の存在意義が人間の願いを叶えることであるはずがない。
人間のいう事を何でも聞いて叶えてたら、それは奴隷と同じですよね。
神様は人間の奴隷じゃありません。
だけども、神社や仏閣のある場所は流れる空気が違う。
寺社はたいていそういう場所に建てられている。
だから、何もせず、その場にいるというだけでも行くだけの価値はあるように思う。