「そうだ鳥取砂丘に行こう」突然そんなことを思いつく。
大阪方面行く場合、国道9号線沿いの道の駅ハチ北を通過して少し行ったところに
どうせ見るなら、早朝一番のまだ誰の足跡もついてない砂丘の風紋。
11日、そんな思いで鳥取砂丘に向かったのですが
途中の高速道路のSAで休憩をとった際、見上げた夜空に星は無し。
天気予報を調べてみると鳥取あたりは傘マーク。
う~ん、雨降りで水を含んだ砂丘を歩くのは嫌やなぁ。
うどんを食べながら思案した挙句、曇りマークの兵庫県北部へ。
SAでもらった地図に載っていた猿尾滝に行先変更。
「優柔不断な奴やなぁ」ですって?
いやいや、臨機応変と言ってもらいたいですなあ。
さてさて、国道9号線を走っていて目につくのは
スキー場、温泉、飲食店の看板。
ハチ北の道の駅を通り過ぎ、もう直ぐやなと思い車を走らせてると
信号のない三叉路に「→猿尾滝」の小さな看板。
おっと見逃すとこやったやんか。
スキー場や飲食店の目立つ看板に比べたら
ひっそりと小さな看板が立ってるだけ。
「ほんまに、百名選の滝なんかな?」
標識通りに道を進むと程なくして猿尾の滝の看板が見え
駐車場の表示があったので車を停めドアを開けると
「ひゃ」思わず声を上げてしまいました。
いきなりゴーっという大音量が耳に飛び込んできます。
駐車場から歩くこと数秒、音のする左手に目をやると
猿尾滝が現れました。
説明案内板によると日本の滝百選に選ばれた猿尾滝は
上段39m、下段21mの二段になっていて、落差は60m。
遠目でも迫力はあるけれど、もっと近くで見なければ。
渓谷の脇を通る遊歩道を通って滝壺の間近まで来てみると
中々の迫力で、水しぶきが飛んできます。
上段の滝の方が見応えがありそうなのでもう少し上まで行きたかったが
崖崩れでもあったのか上に通じる歩道は閉鎖されてる。
うーん残念…と思ってみても行けないものは仕方ない。
滝の上部から下部までの写真もワンショット撮っておきたい。
そう思うのですが、もう少し滝から離れないと無理みたい。
「もっと中央から撮らんかい。」私の中にいる悪魔が私に呼びかけます。
「そんなこと言うても、滝壺の中に入らんと無理やんか。」
「かまへん、かまへん。濡れたかてすぐ乾くわ。」
「夏場やないんやさかい、すぐには乾かん。それに…」
「それに何やねん。」
「カメラが水没してしまう。」
念のために特価で買ったミニ三脚を持ってきているのだが
いかんせん高さが大幅に不足。
「手持ちで撮ったらええやないか。」
「1秒前後のシャッタースピードじゃ絶対ブレる。」
「手振れ補正ついてるやないか。」
「付いてても無理。」
「お前それでもプロか?」
「プロとちゃう(違うの意)、ド素人じゃ。」
一人芝居の滑稽さにはたと気づき、思わず苦笑い。
滝のそばで数枚撮って、来た道を戻って行く。
滝そばの茶店近くで、散歩をしている近所の人に出会った。
ぺこりとお辞儀をされたので、「こんにちは」と挨拶をすると
「おはようございます。」と返事が返ってきた。
あはは、おはようございますやてと思いながら時計を見ると
午前7時にもなってない。
あらま、私の挨拶の方がおかしかったのね。
どうりで、駐車してから誰にも会わず、茶店も閉まったままやし
連休やっちゅうのに、百選に選ばれてる滝にもかかわらず
こんなに閑散としているはずはありませんわなあ。
今日の予定は浜坂に泊まるということの他は何も決めてない。
茶店横にある観光案内を見ながら、しばし思案。
時間の余裕もあるし、次はどこに行こうかなあ。
大阪方面行く場合、国道9号線沿いの道の駅ハチ北を通過して少し行ったところに
信号のない三叉路があり、猿尾滝の標識がある。
そこからは道なりに数分も走れば休憩所横に数台停めれる駐車場があり
駐車場からはすぐなので、かなり行きやすい滝の部類に入ると思う。
ただし、国道から右折する三叉路にある標識は目立つほどのものではないので見逃さないように。
落差は60mあってなかなか見応えがある。
春は新緑、夏は納涼、秋は紅葉、冬は氷結と四季見応えがある旨の記載が案内板にはあるが
紅葉の頃が一番オススメのように思う。(11月初旬あたりか)
案内看板に次のような事が書かれてあった。
「江戸時代村岡藩主山名氏が夏にそうめん流しを楽しんだと言われている。」
そのような状況を想像して思わず吹き出しそうになる。
用意された素麺の多くは、からめ捕られることなく下流へと流れ去っていったのではないだろうか。
「おーい、素麺がどんどん流れてくるぞ。」
「流れてくるぞって言われても、流れが速すぎて中々取れませんぞ。」
「何をしておるのじゃ、素麺がもったいないではないか。」
「そんなこと言うたかて、流れは速いし、足場は安定せんし。」
皆わーわー言いながらそうめん流しをしたのでしょうかね。
もちろん但馬弁で。
おそらく参加した殿様たちの口に入った素麺よりも
はるか彼方に流れていってしまった素麺の方が多かったように思われる。